ケニアは、アフリカ諸国の中では日本人にとって比較的馴染みのある国ではないでしょうか。マサイ族やサファリなど、文化的資源や天然資源を豊富に抱えているほか、首都ナイロビは東アフリカ随一の主要都市としても有名です。その一方で、ケニアには貧困問題が現在も根強く残っており、国内にはアフリカ最大と呼ばれるスラムも存在します。
この記事では、ケニアの貧困問題の現状を様々なデータから解説し、スラムへの支援を含む貧困対策分野の支援状況をお伝えします。記事の最後では、ワールド・ビジョンのチャイルド・スポンサーシップを通して世界へ羽ばたいたケニアの貧困地域出身の2人のチャイルドのエピソードをご紹介します。貧困という巨大な問題に対して私たちに何ができるのか、この機会に考えてみていただければ幸いです。
まずは、ケニアの貧困問題の現状を把握するため、貧困にかかわるデータを見ていきましょう。様々な指標を紹介しながら、ケニアの貧困問題の背景にどのような要因があるのかもあわせて解説します。
世界銀行が公表している2015年のデータによると、ケニアにおいて1日あたり1.9ドル以下で生活している人の割合は、37.1%でした(注1)。
1日1.9ドルというのは世界銀行が定めた国際貧困ラインであり、この水準に達していない人々のことを絶対的貧困者と呼びます。以前の国際貧困ラインは1日1.25ドルでしたが、物価の変動を考慮して2015年に1.9ドルに改定されました(注2)。
この改定に伴い、世界銀行は他に1日3.2ドルおよび5.5ドルという2つの水準を設定し、貧困問題をより包括的にとらえようとしています。同じ2015年のデータを見ると、ケニアで1日3.2ドル以下で生活している人の割合は66.5%、1日5.5ドル以下で生活している人の割合は86.6%とされています(注1)。
また、国連開発計画(UNDP)が発表している人間開発指数(HDI)は、健康長寿、知識、人間らしい生活水準という3つの分野についての各国の達成度を示すものですが、最新の2018年の報告書では、ケニアのHDIは0.579であり、これはHDIが計算されている189カ国中147位の数字です。低位グループではないものの、中位グループの最下層に位置しています(注3, pp.24-25)。
UNDPによると、ケニアでは経済成長に伴って貧困率が低下しているものの、人口の少ない北東部の乾燥地帯などでは貧困率が80%を超えているといいます。収入だけでなく、教育や電気、水、保健サービスなどへのアクセスにおいても、都市部と地方部の間で大きな格差があることが指摘されています(注4, p.2)。
貧困の背景として、地方部では農業生産性の低さなどが挙げられますが、都市部では若年層の失業率が課題とされています(注4, p.2)。これは国際協力機構(JICA)の報告書でも詳述されており、ケニアでは特に女性の失業率が高いことが報告されています(注5, p.89)。女性は土地の処分や信用取引においても男性より不利であることなど、様々な要因が影響して、女性の方が貧困に陥りやすいことが指摘されています(注4, p.2)。
失業率が高い背景には、ケニアの人口が短期間で大幅に増加していることも関係していると考えられています。ケニアの人口構成は若年層ほど人数が多いピラミッド型になっており、14歳以下の人口が全体の45%を占めています。14歳以下の子どもは一般的に働き手ではなく扶養家族となるため、こうした人口構成は、家庭の経済状況にも影響をおよぼしていると予想されます(注5, pp.92-93)。
ケニアの都市部で若年層の失業率が高いことに触れましたが、ケニアの首都ナイロビにはアフリカ最大のスラム「キベラスラム」が存在します。ケニアの貧困層の一事例として、キベラスラムとそこで行われている支援について見てみましょう。
ケニアの首都ナイロビにあるキベラスラムは、アフリカ最大のスラムであるとされています。土地の広さは約2.4㎢ですが(注6, p.125)、人口について公式の統計はなく、最大100万人が暮らしているとされています(注7)。
元々は、宗主国であったイギリスによって19世紀末にスーダン南部から強制的に連れてこられた傭兵たちのための軍用居留地であった地区が、その後不法占拠され、出稼ぎ労働者たちの住む地区となったと言われています(注8)。
キベラスラムの住民は、6畳程度の広さの部屋を月1,800円程度で借りて暮らしており、電気は不法に引いた電線から供給されています。水道はスラム内で比較的経済力のあるわずかな住民たちが引いたものがあるだけで、多くの住人はその水道の水を買って使用しています(注8)。
トイレは20世帯から40世帯に1つと言われ、ゴミがいたるところに捨てられていることもあいまって、衛生面での問題は深刻です(注8)。地区内に病院はなく、キベラスラムに住む子どもの60%以上は経済的な理由から初等教育も受けられていません(注6, p.125)。
このように深刻な貧困状態に置かれているキベラスラムの住民に対して、国際社会は様々な支援を行ってきました。国連機関などとの連携のもと、日本の企業が活動を行っている例もあります。
ケニアでは、新型コロナウイルス感染症の流行を受けて外出や移動に制限が課されましたが、これによって多くの人々が収入を失いました。さらに、元々あった性別に基づく不平等が拡大したこともあり、女性や少女たちは以前にも増して脆弱な立場に置かれるようになっています。
これを受け、国連人口基金(UNFPA)は、2020年11月に明治ホールディングス株式会社とパートナーシップ契約を結び、キベラスラムにおいて200人の女性と少女を対象にした経済自立支援を行うことを発表しました(注9)。
人口密度が非常に高く水や衛生サービスへのアクセスが十分でないキベラスラムにおいて、昨今の新型コロナウイルス感染症の流行は大きな懸念です。上記のUNFPAと明治ホールディングスの事業の他にも、例えば国連児童基金(UNICEF)は、スラム内の特にぜい弱性の高い世帯に対して石けんの配布を行ったり、ボランティア人材を訓練して啓発活動を行ったりといった支援活動を実施しています(注7)。
ケニアに対する日本の支援は歴史が長く、政府開発援助(ODA)を通した日本の支援の累積額を見ると、ケニアはアフリカのサブサハラ地域で最大の被支援国となっています(注10, p.374)。また、ケニアへの近年の経済協力実績を支援国別に比較すると、日本は常に上位5位までに入っており、2015年時点ではアメリカとイギリスに次いで3番目の支援国となっています(注10, p.376)。
日本にとって東アフリカの玄関口にあたるケニアは、地域経済を先導し、地域の平和や安定に貢献する存在でもあります。このため、ケニアに支援を行うことで、ケニアが地域の成長モデルとなり、東アフリカ地域全体の持続的な経済成長と貧困削減につながることが期待されているのです(注10, p.374)。
ワールド・ビジョン・ジャパンは、チャイルド・スポンサーシップを通してケニアの貧困地域への支援を続けています。ここでご紹介する2人のチャイルドのエピソードからは、支援によってチャイルドたちの人生に大きな変化がもたらされていることを感じていただけるでしょう。
チャイルド・スポンサーシップは、支援地域に住むチャイルドとの関係を育みながら、子どもの健やかな成長のために必要な環境を整えていくことを支援するプログラムです。
ケニアでは現在、教育環境が整っていない、学校に通えない子どもが多い、子どもを大切にする考え方が根付いていない、などの課題を抱える2つの地域を対象にこのプログラムを展開しています。
これら地域において、ワールド・ビジョンは、教室の建設・改修や備品の支援、教育の重要性についての啓発活動、教材の配布や教員研修、そして子どもの権利と保護についての啓発活動などを行っています。
ある地域では、ワールド・ビジョンの支援で新しい校舎が建設されたことで、就学率が45%から90%に増加したという喜ばしい実績があります。また別の地域では、法定の年齢以前の早婚や女性器切除などの慣習が根強く残っていましたが、ワールド・ビジョンの活動を通して村の人々の女子教育に対する認識が変わり、結婚を理由に退学する女子生徒が減少しています。
ケニアの首都ナイロビには、キベラスラム以外にも多数のスラムが存在します。その1つで育ったスティーブンさんは、チャイルド・スポンサーシップを通した支援によって人生が一変したチャイルドの1人です。
「子どものころ、母と兄弟6人でケニア、ナイロビのコロゴチョというスラム街で育ちました。母は野菜を売って生活していましたが、家族の食費もままならず、学用品も、靴すらも買えませんでした」と語るスティーブンさんは、2001年からチャイルド・スポンサーシップを通した支援を受けました。彼は当時のことを「世界の反対側に住んでいる誰かが、僕のことを気にかけてくれていつも励ましてくれたことに感謝しています」と振り返ります。
成長したスティーブンさんは、奨学金を得て日本への留学を実現し、京都大学大学院の修士課程で農学を学びました。将来は、博士課程まで勉強を続けてから故郷へ戻り、農業の知識を活かしてケニアのために貢献したいと話します。自分の夢は「子どもたちの未来への教育とみんなの食糧のために働くこと」であると明かしたスティーブンさんは、日本で体験したことをスラムの子どもたちに伝えたいとも語ってくれました。
ケニアとタンザニアとの国境付近にあるカジアド郡は、安全な水も手に入らず、子どもたちは一日中羊と牛の世話をしなければならない環境であり、女の子が教育を受けるなどもってのほかでした。
ここで生まれ育ったナンシーさんは、10歳になった1994年にワールド・ビジョンと出会い、チャイルド・スポンサーシップの支援を受け始めました。支援のおかげで学校に通うことができるようになりましたが、女の子は15歳になる前に結婚するのが当たり前であったため、気づけば女子生徒はナンシーさん1人に。成績トップだったナンシーさんに対して、ひいきだという苦情が絶えず学校に寄せられるなど、辛い時期を過ごしました。
そんなナンシーさんの孤独を救ったのは、チャイルド・スポンサーからの手紙だったといいます。「毎朝あなたの笑顔を見ると、とても幸せな気持ちになるんです」と綴られた手紙を読んで、ナンシーさんは負けずに頑張り続けることを決意。勉強を続け、地元の高校をトップの成績で卒業しました。さらに、ケニアで一番の大学であるナイロビ大学で修士号をとったのち、今は開発援助の仕事をしています。
世界で活躍するナンシーさんは、今では地元の子どもたちの憧れの存在です。女子教育に対する偏見も薄れ、母校の学校では、以前よりずっと多くの女の子たちが勉強しています。
チャイルド・スポンサーシップは、月々4,500円、1日あたり150円の継続支援です。
チャイルド・スポンサーになっていただいた方には、幼少期のスティーブンさんやナンシーさんのように支援地域に住む子ども、"チャイルド"をご紹介します。ご支援金はチャイルドやその家族に直接手渡されるものではなく、子どもの人生に変化をもたらすことを目指した様々な長期の支援活動に使われます。
チャイルドは、皆さまと1 対1の関係を育み、支えられていく存在です。支援地域がどのように発展し、チャイルドがそこでどのように成長しているかという支援の成果を、毎年お送りする「プログラム近況報告」と、チャイルドの「成長報告」を通じて実感していただけます。さらに、チャイルドからは1年に1度、グリーティングカードが届くほか、自由な頻度でチャイルドと文通をしていただくこともできます。
子どもたちが皆等しく健康で安全な環境で育ち、教育の機会を得て未来に夢を描けるように、チャイルド・スポンサーシップへのご協力をお願いいたします。
注1 世界銀行:DataBank World Development Indicators (Kenya, Poverty headcount ratio)
注2 世界銀行:国際貧困ライン、1日1.25ドルから1日1.90ドルに改定
注3 UNDP:人間開発報告書2019
注4 UNDP:Country programme document for Kenya (2018-2022)
注5 国際協力機構:貧困プロファイル ケニア(12147898 03.pdf)
注6 平田 博嗣:「ケニアの社会科教育」日本社会科教育学会『社会科教育研究』No.122(2014.9) pp.124-135
注7 UNICEF:Photos: UNICEF distributes soap and hand washing messages in Kibera
注8 水野一晴:ケニア・ナイロビのスラム街キベラにおけるトイレを中心とした衛生環境と地域社会
注9 国連人口基金東京事務所:明治ホールディングス株式会社と国連人口基金がパートナーシップ契約を締結
注10 外務省:ODA(政府開発援助) ケニア 国別データ集2017