高台に避難をし、海の様子を見ていると、どんどん波が引き、知り合いのおじさんの船が波に引かれ沈んでいく様子は、映画のワンシーンをみているようでした。私の家も一瞬で津波にのみ込まれ、予想以上に津波は大きく、逃げても逃げても津波は押し寄せてきました。津波と同時に雪も降ってきました。凍える寒さのなか、私たち家族は、さらに高台にある保育園に避難しました。
そんなある日、笑顔がなく、どこか暗い小さな子どもたちの姿が目に入ってきました。私は、すぐにこの子たちを助けてあげなくちゃ、と思いました。
子どもたちは地震への恐怖や、ばたばたしている大人たちを見て、不安が大きくなったり、遊びたくても遊べなかったり、小さな子どもたちなりに、たくさんのものを抱えていたはずだったと思います。
今この場でこの子たちを助けてあげられるのは自分しかいないと思い、この避難所でジュニア・リーダーをやろうと決めました。
震災から1カ月がたった4月の半ば、小さなコンサートが開かれました。私は、そのコンサートの司会を教育委員会の方から任されました。久しぶりに歌をうたったり、体を動かしたり、子どもたちはすごく楽しそうで、コンサートの会場は一瞬で笑顔につつまれました。子どもたちの笑顔を見た保護者たちは、「笑っているのを久しぶりに見たー」と言いながら泣いていました。子どもの笑顔の力はすごいなーと思ったし、私たちがもっと子どもたちを笑顔にしてあげなくちゃ、と思いました。
役場の方から復興計画について説明していただいたり、町内の小中高生に復興についてのアンケートを行ったり、それらをもとにワークショップを積み重ねてきました。ワークショップをしているうちに「子どもに笑顔を・地域に夢を」というテーマができました。「子どもを笑顔にするためには?」「夢ってどうやったら持ってもらえるの?」難しい問題がたくさんありました。
こういった考えを提案書という形にし、昨年の6月に町長さんへ直接手渡しをしてきました。町長さんからは、南三陸町が復興していくうえでジュニア・リーダーの皆さんとは復興のパートナーでありたい、という言葉をいただきました。
はじめは、ジュニア・リーダーが復興を考えるなんてムリだと思っていた大人も多くいたはずだと思います。しかし、私たちジュニア・リーダーは、最後までやり遂げることができました。もちろん、私たちを支えてくれる大人の方々がいたからです。
「子どもになんかムリだ」と言う前に、少しでもやらせてみてください。大人だけでは見えない私たちの目線があります。時間はかかるかもしれません。でも、たくさんの新しい発見があるはずです。私は、世界中でたくさんの10代の若い力を使ってほしいと、この活動を通し感じました。
震災後、世界中のたくさんの方々が私たちを助けてくれました。本当にありがとうございます。今も、ボランティアの方がたくさんきてくれています。でも、いつまでもボランティアの方に頼るわけにはいきません。新しい南三陸町をつくっていくのは、ボランティアの方たちではありません。私たちなのです。「子どもに笑顔を・地域に夢を」を今後もテーマにし、私たちが新しい南三陸町をつくり、南三陸町民として、そして、ジュニアリーダーとして、南三陸の人たちに夢と感動を届けていきます」
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