(2025.03.13)
宮城県南三陸町ご出身の大学生、小林汐樹(こばやししおな)さん。小林さんと子ども支援国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン(以下、WVJ)の出会いは14年前にさかのぼります。
小林さんは、2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災し、WVJの支援を受けました。当時小学2年生だった小林さんが通っていた南三陸町立戸倉小学校は震災により校舎が全壊してしまったため、隣接する登米市内の、廃校により使われていない旧善王寺小学校の仮移転することになりました。WVJは南三陸町で緊急期の物資支援の他、子ども支援にも力を入れて活動をしていました。小林さんが通う旧善王寺小学校では、子どもたちが放課後に安心して過ごせる場所としてチャイルド・フレンドリー・スペース(CFS)「ぜんいんしゅうごう!」を運営しており、小林さんもそこで遊んでいた一人でした。「訪問する支援団体はありましたが、物資支援が中心で一度きりでした。WVJは長い期間にわたって、子どもたちと遊んでくれました。オレンジのジャンパーを着ている皆さんのこと、よく覚えています」
この経験を機に人道支援に関心を持ち、「震災の時には世界の中の人が支援してくれた。アフリカでボランティア活動をしたい!」という思いから、2024年、大学在学中に東アフリカのマラウイとルワンダで教育ボランティアとして活動した小林さん。ルワンダではワールド・ビジョンの支援地域でもボランティアに従事し帰国された小林さんに、ワールド・ビジョン・ジャパンのスタッフがお話をうかがいました。
小林さんは、2024年1月から4月はマラウイ、そして、5月から9月はルワンダで活動。「トビタテ!留学JAPAN」※の選考を通過して渡航した小林さんは渡航制限の条件下で東アフリカ地域を選択し、最貧国ながらあたたかい国民性から"Warm Heart of Africa~アフリカのあたたかい心~"と呼ばれるマラウイ、そして、30年前の虐殺の悲劇を乗り越え発展しているルワンダへ、それぞれの「なぜ」を知りたいという思いを胸に渡航したと言います。
※文部科学省が展開する官民協働の「留学促進キャンペーン」
「マラウイで私は初めて『足るを知る』という言葉を知ったんです」と小林さん。「水もない、食べ物もない。でも、『あるもの』で幸せに暮らす、『ないもの』を求めない。そして、『あるものを分け合おう精神』がすごいんです。これを表す言葉ってあるのかなと調べて、『足るを知る』という言葉に出会いました」マラウイでは幼稚園、そして、小学校の英語の先生として、ボランティア活動に従事した小林さん。
「幼稚園で何度も聞いた言葉がありました『"Sharing is Caring"(分かち合うことは思いやること)』子どもたちがお菓子をもらうと先生が子どもたちに『"Sharing is Caring"でしょ?』って言うんです。そうすると、子どもたちが、最初は渋々私にお菓子を分けてくれる(笑)。先生が、笑顔で「そうそう。"Sharing is Caring"だね」って言うと、その子も笑顔になって、他の子どももわーっとお菓子をくれて、両手いっぱいになったりしていました」「食べ物もお菓子もとても大事なものなんです。でもあらゆる場面でそれを分かち合う。この"Sharing is Caring"はいろんな幼稚園や学校で言われていました」
「ルワンダでは虐殺の痕跡を日常生活で目にすることはなかった」と小林さん。「『あのような悲劇を二度と絶対に繰り返してはならない』という決意が、人々の意識や、制度の中に根付いていました。民族の区別はありません。もし衝突が起こってしまったとしても暴力が拡大しないように治安が守られていました」
小林さんは、マラウイでの活動、そして、ルワンダでも別団体での幼稚園の教育ボランティアを経て、2024年5月~9月をルワンダのワールド・ビジョン活動地域で過ごしました。
「スタッフの皆さんがあたたかく心から迎え入れてくれた」と小林さん。「子ども支援を行う団体のスタッフ、その人側に触れて、本当に安心して過ごすことができました」
小林さんが派遣されたのは、ルワンダ東部のカヨンサ郡。ワールド・ビジョン・ジャパンがチャイルド・スポンサーシップ※による支援活動を行う地域を中心に、給水ポンプなど水衛生支援の現場の視察や支援を受けている子どものモニタリングに同行したり、また、月1回子どもたちを集めて遊んだり、大切なメッセージを伝える(啓発活動)の場所で活動をサポートしました。
「とても印象的だったのは、子どもたちや地域の人たちの関係が堅苦しくないんです。スタッフと住民の皆さんは『最近、どう?』と互いに声をかけあっていますし、子どもたちも、ワールド・ビジョンのスタッフが来ると、『あ、いつも遊んでくれるおばさんが来た』という感じで自然に集まって来るんです。活動で訪問したどの地域でもそうでした。関係が深く密接なんです」「思い返すと、私が南三陸で『わーびー』(子どもたちがつけたWVJの愛称)の皆さんに遊んでもらっていた時もそうでした。スタッフと私たちの親も仲良くなっていきました」
「支援する、支援されるという関係ではないんです。縦の関係ではないんです。友だちでもないし、親戚でもないけれど、『一緒に変えていこう』という力を感じていました」
小林さんのルワンダで過ごした数カ月の経験をふまえ、WVスタッフと地域の人々の間にそのような密接な関係性が生まれるはどうしてだと思いますかとたずねると、小林さんは少し考えた後で、次のように答えてくださいました。
「足を運ぶ頻度、一緒に過ごす時間の長さが、関係性を生み出していると思います。1回何かを作って終わり、とかではないのです。たとえば、私も、ワールド・ビジョン・ルワンダの水衛生担当のスタッフと一緒に、もうずいぶん前に日本の皆さんの支援で給水施設を建設したという現場に、メンテナンスやフォローアップ何度も足を運びました」「南三陸でもそうでした。ワールド・ビジョン・ジャパンさんは留まって、勉強を教えたり、遊んでくれました」
小林さんは、また、ルワンダでの経験を通して、東日本大震災当時のワールド・ビジョン・ジャパンのスタッフの胸の内にも次のように心を寄せてくださいました。
「ルワンダで子どもたちと遊ぶ日には、ひたすら駆けっこをしていたんです。子どもたちがとても元気で喜んでいて、そのことが何よりも嬉しかった。もしかして、ワールド・ビジョン・ジャパンのスタッフの皆さんも、被災した私たち子どもたちが、子どもらしく過ごしている姿に、嬉しさを覚えてくれていたのではないか。その時のスタッフの皆さんに想いを体験できたのかな、と思いました」
「これまでは、私が遊んでもらったり、勉強のサポートをしてもらってきました。アフリカでの活動で、子どもたちが自分を受け入れてくれて、先生として教える経験を通して、今度は子どもたちのために、教育を通して何かしてあげられる側になったのだな、と活動のたびに思っていました」と小林さん。一方で次のようにも話してくれました「知識、技術が圧倒的に足りていないことを身に染みて感じました」「これからも子どもの教育支援には関わってきたい。でも、ファイナンスのことや日本からどのような支援が可能なのか、もっと知って学んでいきたいと思います」
小林さんは、ワールド・ビジョン・ルワンダのスタッフから、キンヤルワンダ語の名前をもらったと言います。「『マホロ(平和)』という名前です。私の名前『汐樹』が海と大地~自然の調和という意味だと説明すると、いくつか候補があった中で、何人かのスタッフが、『マホロ』がいいね、と」
「マホロさん」と呼びかけると、「久々に呼ばれました。嬉しい」と明るい笑顔を返してくださいました。
小林さんの進んでいかれる道で、平和と笑顔が広がっていきますように。またワールド・ビジョン・ジャパンの事務所に遊びにいらしてくださることを楽しみにしています。
(聴き手:ワールド・ビジョン・ジャパン コミュニケーション課 徳永美能里)
※なお、WVの支援地域での学生ボランティアの受け入れは原則として現在行っておりません