(2023.12.06)
ワールド・ビジョンの活動の核である「チャイルド・スポンサーシップ」。このチャイルド・スポンサーシップは、すべての子どもたちが健やかに成長できるよう、幅広い分野で長期的に活動する支援プログラムです。
今回は、ワールド・ビジョンとチャイルド・スポンサーシップのはじまり、また、日本とのかかわりについてお伝えします。
※今回ご紹介するイラストは、以前にチャイルド・スポンサーの皆さまにお送りしていた「スポンサーガイド」に掲載していた、山内章子さんが描いてくださったイラストになります。
ワールド・ビジョンの創設者であるボブ・ピアス博士(1914~1978年)は、アメリカのアイオワ州で生まれました。1930年代後半から、巡回伝道者としてカリフォルニア州を中心に活躍した彼は、隣みの心に富んた情熱的な人であり、「神は愛なり」という言葉に強く動かされて、貧しく、悩み苦しんでいる多くの人々に援助したいと祈り求めていました。そして彼はのちに、ワールド・ビジョン設立のきっかけを得ることとなるのです。
1947年、ボブ・ピアスは米青年宣教団体「ユース・フォー・クライスト」の伝道者として初めて中国に渡りました。そこで、説教すると同時に、「チャイナ・チャレンジ」をはじめとする16本の伝道フィルムを製作しました。中国滞在中、何千人という貧しく助けを必要としている人々を見て、彼は自分自身の信仰と、世界の中でのクリスチャンとしての役割を深く考えさせられました。そして、ただ考えるだけではなく、それを実行に移す時が来たのです。
ボブ・ピアスが中国に滞在していた時、チベットに近い、とある村を訪問しました。そこで、彼は孤児院の前で、おなかをすかし、ぼろ布をまとった小さな女の子がしゃがんでいるのを見かけました。隣みの気持ちと同時に怒りがこみあげてきた彼は、その孤児院を運営しているシスターに、思わず激しく詰め寄りました。
「小さな子どもが自分で助けを求めてここまで来ているのに追い返すなんて。どうしてこの子を放っておけるのですか」
ボブ・ピアスは、孤児院からさえも見捨てられたこの女の子が頭から離れませんでした。それと同時に、ピアス博士自身に対する明確な問いかけが、彼の心に深く浸透してきたのです。
「キリスト教の説く救いとは、霊的な救いだけに留まっていて良いのか」
彼は祈りました。
「神の心を引き裂くものによって、私の心を引き裂いてください。私はすべての人々に何もかもをすることはできませんが、誰かに何かをしてあげることはできます。そして私がそれを行動に移すことができますように」
彼は神の愛を実行に移す決心をし、養育費を支払うことを約束して、その女の子をある女性宣教師に預けました。これが、のちのワールド・ビジョンのチャイルド・スポンサーシップのきっかけとなったのです。
1950年に、ボブ・ピアスは、中国滞在中に知り合った宣教師の招きで韓国に行く機会を得ました。韓国滞在中、多くの戦争孤児たちの苦しみ、悲しみを目の前にし、ボブ・ピアスの心は張り裂けんばかりでした。
3年前に彼が目にした中国の孤児たち。そして、いま目にしている韓国の孤児たち。
これらの体験を通して彼は、「児童を保護する機関を設立する」というビジョンを明確にし、1950年9月、アメリカで「ワールド・ビジョン」を発足させました。その運営費のために、彼は、中国滞在中に製作した、「チャイナ・チャレンジ」をはじめとするフィルム等を募金活動に用い、与えられた献金を運営資金にあてたのです。
ワールド・ビジョンは、設立当初より、孤児や夫を亡くした女性、貧しくおなかをすかせている人々、らい病人や結核患者など、社会的に弱く貧しい立場にある人々の支援をしてきましたが、その中心となる働きはチャイルド・スポンサーシップです。
チャイルド・スポンサーシップが正式に始まったのは1952年です。1954年には、2カ国の子ども2,000人の規模でしたが、1980年までに20万人の子どもを支援するまでに発展しました。
そして現在(2021年度)、チャイルド・スポンサーを紹介されている子どもの数は約320万人以上にものぼります。
チャイルド・スポンサーシップ発足当初は、対象となる子どもは孤児でしたが、現在は、親はいるものの非常に貧しい生活を強いられている子どもが主な対象となっています。
1950年のワールド・ビジョンの創立以来、ワールド・ビジョンは日本でも、さまざまな分野で活動を展開してきました。
日本に対するワールド・ビジョンの働きの中で特筆すべき点は、戦後、日本にも多くいた孤児、捨て子や恵まれない子どもたちが、チャイルド・スポンサーシップを通して援助されたということです。当時、全国12の孤児院、乳児院、身体障害者施設の子どもたち369人が、世界の人々の愛に支えられ、生きる希望を与えられました。
日本は今や物質的にも恵まれている環境の中にいますが、私たちも、かつては苦しく貧しい生活を経験しなければならなかったこと、また外国からも援助を受けたことを決して忘れてはなりません。
ワールド・ビジョンの援助も、日本の経済が序々に復興していくにつれ、その必要性がなくなり、日本から一時、姿を消しましたが、「日本は今や援助される側ではなく、援助する側に立つべきである」という認識のもとに、支援国事務所「ワールド・ビジョン・ジャパン」として、活動を再開しました(1987年10月19日開設)。
1988年、巨大なサイクロンに襲われたバングラデシュへの支援活動にはじまり、ワールド・ビジョン・ジャパン単独で行う最初のチャイルド・スポンサーシップによる事業を開始しました。当初、バングラデシュを含む6カ国で、チャイルド数438人からスタートしたチャイルド・スポンサーシップは、拡大を続け、これまでに約40カ国での支援事業を実施し、2022年度は18カ国、49のチャイルド・スポンサーシップ事業を実施するまでに成長しました。
子どもたちの豊かないのちの実現のためにともに歩んでくださる皆さまの温かいご支援、ご協力に、心から感謝を申し上げます。