2014.08.08
8月15日は69回目の終戦記念日です。
多くの人が肉親や友人を亡くした悲惨な過去を乗り越え、日本は今、平和な国になりました。
しかし世界には、過去に起こった紛争の影響に苦しむ人々や、今まさに紛争の只中で不安な日々を送る人々も多くいます。
ワールド・ビジョン・ジャパン(WVJ)はこのような人々が暮らす地域でも活動しています。
現地に駐在し、現地の人々とともに活動するスタッフに、「平和」について聞きました。
「妊産婦と新生児の健康改善事業」を行っているベトナムの事業地ディエンビエン省は、モン族やターイ族などの少数民族が多く暮らしています。
のんびりと水浴びをする水牛、走り回る子ヤギや鶏、赤ん坊をおんぶしながら畑仕事を行う民族衣装の女性たちの姿を見ていると、この地域が60年前の「ディエンビエンフーの戦い」の際には戦場だったということが想像できません。しかし、その戦いの際にも、ベトナム戦争時にも少数民族たちはどちら側についたかによって同族同士戦い、多くの犠牲者を出したそうです。
平和な現在でも、同省は今でもベトナム国内で3番目に貧困率の高い省です。しかし、こののどかな省にも開発や変化の波は少しずつ押し寄せてきています。
どのようにしたら、少数民族の人たちが歴史や変化に翻弄されず、自らを見失わずに自身の文化に誇りをもって安心して生きていけるのか―。どうしたら子どもたちが生まれて来て良かったと感じ、将来に希望を持つことができるような社会を築けるのか―。
平和な今だからこそ、住民たち自身がさらに平和を意識し求め、努力して平和を築いていかないといけないのかもしれません。この事業を通して、少しでもそのお手伝いができていたらよいな、と祈っています」
「26年間にも渡ったスリランカの内戦が終結してから、2014年5月で丸5年が過ぎた。幼稚園の子どもたちは、もうあの凄惨な時代を知らないのだと思うと不思議な感動を覚える。
この子どもたちは、スリランカ北部の大部分の住民がずっと直面してきた恐怖や憎悪や苦痛に満ちた人生をもう歩まなくてもいいのだ。突然、肉親や自分の命を奪っていく爆撃や一瞬で人生を破壊する地雷に怯えなくてもいい。
大人にならないうちに兵士として徴用され、有無を言わさず戦闘に巻き込まれることもない。迫り来る危険から逃れるために故郷を捨て、避難に避難を重ね、安心して学校に通うこともできず、明日が見えないまま大人になる人生を歩まなくてもいいのだ。
いや、正確にはそれを確実なことにするのは私たち大人の責任だ。多民族国家であるスリランカでは、今年6月に仏教徒とイスラム教徒との間に衝突が起こり、再び民族間での緊張が高まっている。
あの長い暗黒の時代に逆戻りしたくないと誰もが願いつつ、他者の違いを認めて受け入れ、互いの権利と尊厳を守るということは何故こんなにも難しいのだろう。ようやく手にした「平和」の真価が今こそ問われている」
「南スーダン国内で緊急支援を実施するために、ケニアの首都ナイロビに駐在しています。昨年12月以降の非常に不安定となった南スーダンの状況に比べると、ナイロビの生活は安定しています。ただ、ケニアでも治安が不安定化しているといえる状況で、私が四年前にナイロビに滞在していた頃に比べて、事件やデモなどの発生頻度は高まっています。
そのような中でも、子どもたちが学校に通い、勉強ができることは「平和」または「安定」の象徴だと思います。
子どもたちが生命の危機を感じたり、家を追われ避難生活を余儀なくされたり、学校内でデモを実施したりすることなく、家族に支えられ、授業に集中できるだけのごはんを食べることができる環境に「平和」を強く感じます」
「住んでいる家の近くには、毎日花火など小物を売っている子どもがいます。
夕方になると、段ボールでできた小さなスタンドを持ってきて、街角で座っています。
私のつたないアラビア語では、自己紹介することくらいしかできないのが歯がゆいですが、どうして夜遅くまで物を売らなきゃいけないのか、家族はいるのか、学校には行けているのか、通るたびに、手を振ってくれるあどけない男の子の顔を見ると、ついつい心配になってしまいます
一人で毎日物を売るこの少年は、今平和なんだろうかと、思います。平和、と聞くと、大きな言葉だと思ってしまいますが、身体的な安全だけではなく、家族や友達、大切な人と過ごすときや、ご飯がきちんと食べられて、安全なところで寝ることができること、そういう普通のことが、平和への鍵だと思います。
そして、「普通」のことが普通でない所や、人と共につながって行くことも、とても大切な平和への第一歩だと感じます」