(2015.10.8)
「ワールド・ビジョン(以下WV)がこれまで20年間にわたって残してきたインパクトは、彼女を見れば分かるよ」
ンゲレンゲレ地域を訪れると、WVタンザニアで働く同僚は皆、口を揃えてこう言います。「彼女」の名前はエリーニ・ムスンヤ(Eline Msunya)。屈託のない笑顔と包み込むような温かな雰囲気が魅力のスタッフです。
「ここで働き始めた頃の私はとってもスリムな若い女性だったのに、今じゃこんなに大きくなっちゃったわ!」と語る彼女に対し、「WVは君の体格にも貢献したみたいだね」と、ほかのスタッフがからかい、どっと笑いが起こります。
「WVタンザニアでは多くのスタッフが働いているけど、20年もの間、1つの地域開発プログラム(ADP)で働き通すスタッフはエリーニのほかにはなかなかいないよ」皆に笑顔が広がる中、また別のスタッフが尊敬を込めてこう言い添えます。
「こんにちは。しばらくぶりね。元気にしていたかしら?」
エリーニは村で出会う人々に声をかけます。
ンゲレンゲレ地域のどこに行っても、皆が彼女とWVを知っているようで、親愛と心地よい敬意を込めて言葉を交わしてくれます。
広大なサバンナに点在する21の村々(ンゲレンゲレの支援地域内に21の村があります)で、エリーニとWVが築いてきた住民との信頼関係が垣間見えます。
「でも、もちろん最初からこんな風ではなかったのよ。初めてンゲレンゲレを訪れた時、同じタンザニアなのに、私は外国を訪れたような気分だったわ」と、エリーニはあの日を思い出しながら語ります。
「活動が始まった当初、私たちはまず地域の人々との関係構築から始めました。21の村々を回り、自分たちが何者であるかを紹介し、どんな人々がどんな生活を送っていて、抱えているニーズは何かを把握しようと努めました。
最初、人々はチャイルド・スポンサーシップがどんな働きであるか理解できず、チャイルドの写真を撮るだけでも一苦労でした。チャイルドとして登録されると、その情報が写真と一緒に欧米や日本に送られて、子どもたちが連れ去られてしまうといった噂まで立ち上ったのです!人々の理解を得るには根気強く説明し、態度や行動で示すことが必要でした」
エリーニはンゲレンゲレ地域内のある村に住み込み、そこで暮らす数百人のチャイルドの成長を確認し、その村で実施する活動を担当していました。
「当時、村々を結ぶ道は今以上にでこぼこで、ゾウやライオンといった野生動物が生息する森の中を進んでいきました。今のように4WDの車なんてありませんでした。だから、チャイルドや日本のチャイルド・スポンサーからの手紙を自転車で運んでいたのです」
彼女が住んでいた村から事務所がある地域の中心地までは約45キロ。その距離を月に数回、自転車で往復していたといいます。
「雨期は特に大変で、ドロドロにぬかるんだ道を、手紙が雨に濡れないように気をつけながら2日もかけて進んだことを覚えています。途中、村の小学校で寝泊まりさせてもらったり、ツェツェバエ(吸血性のハエ)に刺されないように気をつけたり...大変な日々でした。その後、しばらくしてバイクが導入され、本当に助かりました。私はこの村で初めてバイクに乗った女性なのですよ!」
ンゲレンゲレ地域は元々イスラム教徒が多い地域であったため、キリスト教精神に基づくWVは地域開発ではなく改宗のためにやってきたという誤解も生まれました。
「人々は初め、懐疑的な眼差しを私たちに向けていました。それでも、WVが宗教やジェンダーに関わらずチャイルドを登録し、人々のニーズに耳を傾け、WVがやりたいことではなく地域が必要としていることに基づいて活動していったことで、人々の信頼を徐々に得ることができました。今では人々が私たちを認め、愛してくれていること、それが私の誇りです」と、エリーニは静かに微笑みながら語ります。
電気や水も十分に得られない生活環境、日々目にする農村部の人々の過酷な現実、仕事上の多くの課題を前に、ンゲレンゲレに赴任した多くの同僚が2~3年経つと辞めていきました。
エリーニ自身も間借りした小さな部屋のベッドの上で、暗闇と静寂に包みこまれながら、一人何度も涙を流したといいます。
「家族は遠くの村で奮闘する私に対して『そんなに大変な仕事は辞めて、早く帰ってきなさい』と言い、アメリカに移住した兄弟からは『お前はなぜ農村で苦しむことを選ぶのだ。こっちで仕事を見つけてあげるから、アメリカに来たらいい』とも伝えられ、何度も心の中で葛藤を覚えました。でも、泣きながら神様に祈る中で、最後に心に浮かんでくるのは大切な村の人々、特に子どもたちの顔でした。『私は彼らを置き去りにすることはできない』その思いを持ってもう一度立ち上がり、20年間働き通すことができました。今は最後まで私に与えられた仕事を完了することができ、本当に嬉しいです」
日本に住む私たちとともに、エリーニをはじめ現地のスタッフが蒔いてくれた種は、20年のときを経て、今大きく実を結んでいます。
ンゲレンゲレ地域には108もの新しい教室が建設され、かつてぼろぼろの教室や木の下で授業を受けていた子どもたちは、今では快適な環境で勉強に励むことができるようになりました。
また、深井戸や浅井戸が掘られ、安全な水が手に入るようになったことで、腸チフスやコレラで命を落とす子どもたちはほとんどいなくなりました。
エリーニは、日本のチャイルド・スポンサーからのご支援に感謝しつつ、こう語ります。
「地域開発プログラム開始当時、21の村々で、診療所はたった1つしかありませんでした。1996年のある日、私の住んでいた村で、女性が苦しみの叫び声をあげながら、自宅分娩していた場面に遭遇しました。赤ん坊はもうすぐ出てきそうだったのに、母親は大量出血をしていて、その場にいた人々は私も含めて何もできずに立ちすくんでいました。
私は急いでプログラムマネージャーに連絡をし、車を呼んでもらいましたが、すでに手遅れで母親も赤ん坊も私の目の前で亡くなってしまいました。辛過ぎて、涙が止まりませんでした。そんなンゲレンゲレ地域にも、日本の皆さまのご支援のおかげで、8つの保健施設ができました!今ではより多くの母親たちが安全に出産できるようになり、かけがえのない命が救われています」
ンゲレンゲレで出会った男性と結婚し、現在は4人の子どもの母親でもあるエリーニ。
かつて何度も悲しさと寂しさの涙を流した彼女の姿はもうそこにはありません。長年にわたり地域に貢献してきたことへの誇り、責任を全うしたことに対する充実感、そして何よりも地域の人々と日本の皆さまへの感謝と愛で、彼女の顔は輝いています。
あなたが手にした手紙の裏にも、たくさんの「エリーニ」の姿があります。
ひととき、日本の皆さまと途上国の子どもたちをつなぐWVスタッフにも思いを馳せていただけたら嬉しいです。