(2022.04.01)
家族とともに難民としての生活を強いられている17歳のオレクサンドル君(仮名)の大切なものは、お父さんの写真と、いつの日か学業を終えて夢を叶えるという希望です。彼のお父さんはオデッサにある家族の農場に留まり、オレクサンドル君はお母さん、そして2人の弟と一緒にルーマニアへの困難な旅を続けました。
オレクサンドル君のお母さん、オルガさんは、夫と力を合わせて建てた家を離れることをためらいました。
「何が起こっているのか、それが現実におこっていることなのかどうか理解できない状況でした。爆撃開始から2週間後、2発のロケット弾が私の頭上を飛んだとき、やっと私は何が起きているのかをはっきりと理解することができました。夫は私に、すぐ避難するように言いました。その時になって初めて、私は家から逃れることに同意しました」と彼女は言います。
農場は、オルガさんと彼女の3人の子どもたちの大切な住まいであるだけでなく、彼らが生計を立てる手段でもあります。オルガさんと夫は、乳製品を販売するビジネスを立ち上げ、牛乳、チーズ、サワークリーム等を彼女が自宅で製造し、販売していました。
オルガさんと子どもたちにとってルーマニアへの旅は、オデッサの外へ出て外国に行く、初めての経験です。4人は避難用のバスで国境に向かい税関を通過しましたが、その旅路はオルガさんにとって非常にストレスの多い厳しいものでした。彼女は心配しながら旅路につき、夫と離ればなれになってしまったこと、そして今の状況が子どもたちにどのような影響を与えるかを考えると、不安でたまりませんでした。
「愛する人から離れるのはとても辛いことです。私たち家族はいつもずっと一緒でした。誰も私たちの子育てを手伝ってくれていたわけでなく、夫と私が子どもたちを育ててきたのです。子どもたちは、父親と離れたくなくてヒステリックなり、泣いていました」とオルガさんは語ります。
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