モハメド君の父親と叔父が、銃殺された後、銃口は彼に向けられました。彼は走って逃げ、安全が確認できるまで渓谷の近くに隠れていました。その後、モハメド君と残された家族はヨルダンを目指し、ゴラン高原まで逃げました。モハメド君は、家を追われながら家族の大切さを実感し、最も耐え難い恐怖は、妹たちに何かが起きることだと考えるようになったのです。
彼だけではありません。ワールド・ビジョンの調査では、15%の子どもたちが、最も耐え難い恐怖は「家族を失うこと」と答えています。
「昔は本当にいい生活だった。家族がみんないて、欲しいものも手に入って。でも、僕たちは失ってからでないと、それに気づくことはできないんだ」
モハメド君は、今、アズラク難民キャンプで生活しながら、ジャーナリストになることを夢見ています。
「ぼくは、幼い頃からジャーナリズムに興味があった。おじさんが、読んで勉強できるようにって、新聞を買ってくれたんだ。今はもう死んじゃったけど、ぼくは、おじさんのためにもこの夢を追い続けたいと思っているよ」
モハメド君は、友だちとキャンプ内の若者に向けた雑誌の制作を開始しました。彼の決意は、このような活動にも表れています。
モハメド君は、近いうちに初号の発行を実現させたいと考えています。
8歳のジャスミンちゃんとお姉ちゃんのダラルちゃんは、ハマ出身。彼女たちは、3年前にシリアから逃げてきました。今は、ヨルダンの難民受け入れコミュニティで生活しています。
紛争が彼女たちにダメージを与えたことが、目に見える父親のハナディさんは、日々、娘たちの生活を少しでも良くするために奮闘しています。お父さんは、次のように話します。「私はただ、子どもたちが欲しがるものを、すべて与えてあげたい。彼女たちは子どもであるべきだし、子どもである今の時間を楽しむべきだ」「私は、この家をより住みやすく、そして、より温もりを感じられるように試行錯誤してきた。壁におもちゃを置いてみたり、子どもたちに着ぐるみのような服を買ってみたりした。それでも、私たちは、シリアを出てからずっと、互いの存在をどこか遠くに感じている」
「私たちは、空の鳥かごと鳥のぬいぐるみを持っている。子どもたちは私に聞くんだ、なんで鳥をかごの中に入れないの?って。だから私は、こう答えた。「鳥はかごの中にいるべきではない、自由に空を飛んでいいんだ、と」
彼女たちはシリアを恋しがっていますが、ヨルダンで生活できることに感謝もしています。
「私たちはここにいれば安全だわ。私はシリアが大好きだけど、今はシリアが安全だとは思わない」ダラルちゃんはそう話します。「シリアにいたとき、私は空爆と銃撃が怖かった。だから、ここでも、警察官を見ると怖くなるの」
彼女たちと同様に、生き残った子どもたちのうち、約半数が、平和とシリアへ戻ることを夢見ています。
アンケートで「シリアに残っている家族と再会したい」と答えた12%の子どもたちとジャスミンちゃんは、同じ気持ちです。「私は、おばあちゃんとおばさんが恋しい。二人に会って、抱きしめたい」
一方で、ダラルちゃんは、学校で優秀な成績を取って、お母さんを喜ばせることを夢見ています。彼女は大きくなったら、看護師になりたい、と話します。それは、「特定の職業に就きたい」と答えたシリアの子どもたちの33%と同じ答えでした。最も多かったのは、医者と先生でした。
ハナディさんは、娘たちがヨルダンで新たな生活を切り拓こうとしていることを、とても誇りに思っています。写真を撮る際、2人を引き寄せながら、次のように述べました。「この子たちは、私の親友だ。彼女たちを愛している」