アフリカのルワンダにおける内戦の歴史をご存じでしょうか。とくに1994年に起こったジェノサイド(大量虐殺)は、多くの命が失われた事件として記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。内戦自体は終結しましたが、現在もさまざまな形で影響を残しています。
影響が大きいと言われているものの1つが「教育」です。この記事では、ルワンダの教育の現状や、内戦の歴史が与えた教育への影響について解説します。
はじめに、現在のルワンダの教育の現状を、教育制度や就学率データにもとづいて見ていきましょう。そうした現状から見えてくる課題もあわせて解説します。
ルワンダの教育制度は、日本と同じ6-3-3-4制です。はじめの6年間が、日本の小学校にあたるプライマリースクール(Primary School)。続いて中学校、高校にあたるセカンダリースクール(Secondary School)も同じく6年間の教育ですが、前半の3年間がOrdinalレベル(Oレベル)、後半の3年間がAdvancedレベル(Aレベル)と呼ばれています。そして最後の4年間が大学という構成です。
ルワンダの義務教育は、小学校(プライマリースクール)の6年間と中学校(セカンダリースクールOレベル)の3年間を合わせた9年間です。大学や職業訓練学校(専門学校)に進学するために高校(セカンダリースクールAレベル)を卒業する必要がある点も、日本と類似しています(注1)。
この他にも、ルワンダでは就学前教育として、日本の幼稚園にあたるPre-nursery school(1~3歳児対象)とNursery school(4~6歳児対象)があります。
次にデータからルワンダの教育の現状、ルワンダの教育省が2019年に発表した「Education Statistics」をもとに見ていきましょう(注2)。
まず、2019年のルワンダの各校種別の就学率は以下の表1のとおりです。
表1 各校種別の粗就学率と純就学率
校種 | 粗就学率 (Net Enrolment Rate) | 純就学率 (Gross Enrolment Rate) |
---|---|---|
幼稚園(Nursery School) | 29.8% | 24.6% |
小学校(Primary School) | 138.8% | 98.5% |
中学校(Secondary School) | 42.5% | 24.5% |
粗就学率(Gross Enrolment Rate)とは、その年に入学した児童数全体を、その年に入学すべき年齢の人口で割った割合です。そのため、本来入学すべき年齢よりも遅れて入学する児童も含まれるため、100%を超えることがあります。純就学率(Net Enrolment Rate)は、本来入学すべき年齢の児童数だけを、その年齢の人口で割った割合です。
このデータを見ると、小学校の就学率は高いのに対し、幼稚園や中学校に本来入学すべき年齢で入学できている子どもの数はかなり少ないと言えます。中学校への就学率の低さとともに、幼稚園の就学率(入園率)の低さも目立ちます。2019年、国連児童基金(ユニセフ/UNICEF)が就学前教育を重要視する声明を出していることからも、就学前教育へのアクセスは今後の課題となってくるでしょう(注3)。
また中学校への就学率も低いと言えます。
続いて、小学校の最終学年(6年生)への進級率を表2に示します。
表2 2019年の小学校最終学年進級率
指標 | 進級率 |
---|---|
粗最終学年進級率 (Gross Intake Rate in P6) |
95.4% |
純租最終学年進級率 (Net Intake Rate in P6) |
27.5% |
粗最終学年進級率(Gross Intake Rate in P6)は、その年の最終学年の児童数から、前年度留年して最終学年に残っている児童数を除き、その学年に当たる年齢の人口で割った割合です。また、純租最終学年進級率(Net Intake Rate in P6)は、本来6年生になる年齢の児童で最終学年に進級した児童の数を、その学年に当たる年齢の人口で割った割合となります。
多くの児童が小学校の最終学年まで進級できている一方で、本来卒業すべき年齢で卒業する児童は約4人に1人しかいないと言えます。つまり多くの児童が就学時期の遅れ、または留年を経験していると予想できます。
小学校では多くの児童が就学している一方で、進級率が低い点は、ルワンダの教育の問題点の1つと言えます。それらは「卒業率の低さ」という形でも影響を及ぼしています。ユニセフが2019年に発表したCountry Profileでは、小学校の卒業率が65.2%という結果が示されています(注4)。
この原因には、退学や留年の多さが大きく影響していると考えられます。事実、2018年から2019年にかけての留年率は10.0%、退学率は7.8%にも及びます(注2)。仮に40人のクラスで考えると、毎年4人の児童が留年し、3人の児童が退学していくことになります。これが1年生から6年生まで続くとすると、同じ年に入学した同級生のうち、一緒に卒業できるのはたったの15人になります。
さらにこの留年や退学の原因として考えられるのが「貧困」です。ルワンダの絶対貧困率(1日1.9ドル以下で生活している人の割合)は、56.5%にも上ります(注5)。子どもを学校に通わせることは家計をひっ迫させるだけでなく、家計を助けるための労働力として子どもを必要とする家庭も多く存在します。そのため、多くの子どもが未だに教育を諦めなければならない状況が続いていることが考えられます。
また、ルワンダの教育が抱える問題には「教師数の不足」も挙げられます。小学校の教師1人に対する児童の数は、日本が16.2人なのに対し(注6)、ルワンダの小学校では60人です(注2)(2018年時点)。
教員の不足は、児童1人が恩恵を受けられる教員の支援の不足にもつながり、教育の質を確保することが難しくなります。このあたりも先程の進級率や卒業率に少なからず影響を与えている可能性があります。
こうしたルワンダの教育が多くの問題を抱える原因には、実はこれまでのルワンダの歴史が大きく関係しているのです。
18世紀頃、現在のルワンダの場所には、ツチ族が支配するニギニャ王国という国が存在しました。19世紀末、ニギニャ王国はドイツ領東アフリカに組み込まれ、その後、第二次世界大戦後にはベルギーの支配下に置かれました。この頃、ルワンダにはツチ族のほかに、フツ族という民族もおり、両族の間には大きな格差が存在していました。
しかし、植民地支配末期の1959年頃から、フツ族の暴力を伴う反乱が各地で起こるようになり、とうとう1961年に革命が起きました。そして、1962年にルワンダ共和国として植民地支配からの独立を果たしました(注7)。
独立によって、それまで力を持っていたツチ族の王族や権力者たちは追われ、近隣諸国に難民として逃れていきました。中でも、隣国ウガンダに逃れたツチ族を中心にルワンダ愛国戦線という組織が結成され、再びルワンダ奪還を目指して侵攻を始めたことでツチ族とフツ族の内戦が始まることになります。
幾度となく内戦と停戦を繰り返すなかで、1994年4月、ツチ族とフツ族の対立が再び激化し、数で勝るフツ族による、ツチ族の大虐殺が始まりました。これがルワンダ大虐殺です。
ツチ族の人々は、家族や友人を目の前で惨殺され、家や土地を奪われました。フツ族の人々も難民となり、200万人以上の市民が隣国へ逃げました。約100日間に及ぶ大虐殺で80万人以上が殺されるという事件となり、1994年7月にようやく新政権が樹立されたことで収束しました。
しかし、その被害はすさまじく、ルワンダの教育への影響も計り知れないものになりました。各地で争いが起こり、学校や施設は破壊されました。多くの大人が殺され、その中にはもちろん教師も多く含まれていました。多くの子どもが両親を失い、経済的にも精神的にも大きな打撃を受けたことも、ルワンダの教育の量・質ともに著しく低下させました。
そのようなどん底の状態の中、新政府はルワンダ復興のために立ち上がりました。再び政権を奪取したルワンダ愛国戦線は、治安秩序のために強力な体制を敷き、急速な再建と経済成長を実現しました。国家予算の約半分を外部からの援助に依存しながらも、それまで蔓延していた汚職の追放、行政能力の向上、インフラの整備、教育・保健体制の整備、女性の社会的地位の向上など、さまざまな国際社会からの要請に応えていきました。
そして順調に経済成長を遂げていき、2003年から2013年の10年間での経済成長は平均年率約7.7%にも達し、この急激な発展は「アフリカの奇跡」とも呼ばれました。
その中で、教育も大きく改善されていきました。2003/04年には小学校が無償化になり、2007年には中学校、さらに2012年には高校にまで無償化が拡大されました。その結果、小学校の修了率は、2000/01年の24.2%から2010年には78.6%(男子75.1%、女子81.8%)に改善され、中学校の総就学率も、2005 年の16.6%から2011 年の35.5%へと増加しました(注8)。
それでも、冒頭でお伝えした通り、ルワンダの教育の現状は今もなお十分ではなく、課題が山積しており、支援が必要な状況が続いているのです。
ワールド・ビジョンは、1950年に設立され、70年以上もの間、世界の子どもたちを支援する活動を続けている国際NGOです。
2019年までにワールド・ビジョンの支援を通して生活が変わった子どもの数は2億人以上にものぼります。(「ワールド・ビジョンが世界最大級NGOのわけ」より)
新政権が樹立された1994年7月、ワールド・ビジョンはルワンダに事務所を設置し、壮絶なジェノサイドを生き延びた人々の支援活動を進めました。
当初は避難民の人々、なかでも子どもたちへの支援活動を行いましたが、1998年からはルワンダへの帰還を始めた人々の生活復興支援に活動の重点を移してきました。2000年からは、長期的な視点で子どもたちの健やかな成長を目指す地域開発プログラムの実施に力を入れています。
例えば、2008年から始まった「キラムルジ地域開発プログラム」は、ガツィボ郡キラムルジ地区と呼ばれる、首都キガリから北東に約88キロメートル、車で2時間ほどの場所にある農村を支援しているプログラムです。この地域は、1994年のジェノサイド(大量虐殺)で最も深刻な打撃を受けた地域の1つです。そのため、人々の心には未だに不安や恐れ、疑心暗鬼の気持ちが残っています。
ワールド・ビジョンは、心に傷を持つ住民のケアや助け合いと相互理解の促進、青少年グループへの平和教育などを行う他、教育の取り組みとしても、教師に対する指導力強化研修やジェノサイドやHIV/エイズなどで親を失った子どもへの職業訓練の機会提供、幼稚園の建設などを行ってきました(「チャイルドが暮らす地域のご紹介」)。
チャイルド・スポンサーシップとは、ワールド・ビジョンを代表する取り組みのひとつで、開発途上国の子どもと支援者の絆を大切にした地域開発支援です。支援者の皆さまからの月々4,500円の継続支援により、上述したルワンダの取り組みも成り立っています。
チャイルド・スポンサーになっていただいた方には、支援地域に住む子ども「チャイルド」をご紹介します。ご支援金はチャイルドやその家族に直接手渡すものではなく、子どもを取り巻く環境を改善する長期的な支援活動に使います。
ワールド・ビジョン・ジャパンでは、チャイルド・スポンサーシップを通してルワンダだけでなく、アジア・アフリカ・中南米など世界21カ国に支援を届けており(2020年)、子どもの健やかな成長のために必要な環境を整え、支援を受けた子どもたちが、いずれ地域の担い手となり、支援の成果を維持・発展させていくことを目指しています。
注1 外務省:諸外国・地域の学校情報
注2 Ministry of Education:2019 Education Statistics
注3 UNICEF:UNICEF、就学前教育に関する共同声明を発表
注4 UNICEF:Country Profile UNICEF Rwanda 2019
注5 世界銀行:Macro Poverty Outlook
注6 OECD:Students per teaching staff
注7 鶴田綾「ルワンダにおける歴史認識と民族対立」『国際政治』,2015年,第180号,p.43-54
注8 木村 宏恒 「ルワンダの開発と政府の役割-- 開発ガバナンスと民主的ガバナンスの相剋--」 『GSIDディスカッションペーパー』,2016年,200号