近年、ジェノサイドを題材にした映画や小説が数多く発表されています。例えば、2011年に出版された高野和明さんの小説『ジェノサイド』は数々の賞にノミネートされ、広く話題となりました。2018年には、オーストラリアとネパールが合同で製作した映画『ジェノサイド・ホテル』が日本でも公開されました。
このように、「ジェノサイド」という言葉は多くのフィクション作品で用いられ、身近なものとなっていますが、その言葉の意味や現実に起きた事例をご存知でしょうか。この記事では、ジェノサイドの国際法上の意味を解説し、実際の事例やその影響についてご紹介します。
まずは、ジェノサイドという言葉の正確な意味を確認しておきましょう。
ジェノサイドという言葉は、「人種」や「部族」を意味するギリシャ語と「殺害」を表すラテン語を組み合わせた造語で、ラファエル・レムキンというポーランド人法学者が1944年の著書で初めて使用したものです(注1)。日本語では「集団殺害」や「集団殺戮」と訳されることもありますが、そのままカタカナで「ジェノサイド」と呼ばれることが多いようです。
ジェノサイドの定義は、1948年に国連総会で採択された「ジェノサイド罪の防止と処罰に関する条約」(通称「ジェノサイド条約」)で定められています。この条約の第2条によると、ジェノサイドとは「国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる次のいずれかの行為」(注2)であるとし、5種類の行為を挙げています。この5種類の行為とは以下の通りです。
このジェノサイド条約は、2019年時点で150カ国が批准しています。批准していない国はアフリカや東南アジアを中心に多数あり、日本もその一つです(注3)。
ジェノサイド条約における「ジェノサイド」の定義は、1998年に採択された国際刑事裁判所(ICC)規定でも踏襲されています(注4)。日本は2007年にこのICC規定に加盟し、それによってジェノサイド条約が規定する責務の大半を果たしていますが、国内法との整合性に課題があり加盟に至っていないジェノサイド条約の批准についても、国会での議論が繰り返し行われています(注5)。
ジェノサイド条約が採択されたのは1948年、第二次世界大戦終結の少し後です。この条約は、大戦中に侵された残虐行為を二度と繰り返さないという国際社会の強い決意の中で生まれたのです(注6)。
また、「ジェノサイド」という言葉をラムキンが考案した背景として、大戦中にナチスドイツによって行われたユダヤ人の大量殺戮や迫害、すなわち「ホロコースト」への対応という側面があります(注1)。
続いて、ここまでに紹介した条約上の定義に基づいて、過去に起きたジェノサイドの事例をご紹介します。
映画や小説の題材になっている有名なケースもありますので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
実は、法的にジェノサイドと認定されている事例は多くありません。
これは、ジェノサイドの定義にあるとおり、ある事例がジェノサイドにあたるかどうかの判断には行為者の「意図」が関わるためです。このため、個別の事例にジェノサイドという言葉を使用するかどうかを決定するためには、ICCや国際司法裁判所(ICJ)での慎重で詳細な調査が必要となります(注1)。
カンボジアでは、1975年から1979までポル・ポト元首相が率いる急進的な毛沢東主義勢力「クメール・ルージュ」が政権を握っていました。この政権下は、農業社会の実現を目指して住民に地方での労働を強制し、過重労働や飢餓で多くの人が命を落とした他、政権の敵と見なされた知識人や少数民族は拷問を受け、殺害されました。このようにして亡くなった人の数は少なくとも170万人と言われています(注7)。
政権崩壊後、国際連合の協力で開設されたカンボジア特別法廷(ECCC)で裁判が行われ、2018年に、政権の最高幹部であった2名にジェノサイドを含む複数の罪で有罪判決が下されました。クメール・ルージュの犯した行為でジェノサイドの罪が認められたのはこれが初めてでした(注8)。
当時カンボジア取材を行ったアメリカ人記者の体験を映像化した映画『キリング・フィールド』は、日本でも1985年に公開されました。タイトルの「キリング・フィールド」とは、大量殺戮が行われた刑場の跡地のことです。
1991年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国が解体され、旧ユーゴから独立した国々の一部で民族紛争が勃発しました。特に凄惨な結果を残したのが、ボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦です。セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人(ムスリム人)という主要3民族が勢力争いを繰り広げるなかで、各勢力は支配地域にいる異民族を排除しようと民族浄化を行いました。
多数の死者を出した内戦でしたが、旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所(ICTY)およびICJがジェノサイドに該当すると認定したのは、1995年に起きた「スレブレニツァの虐殺」のみです(注1)。これは、ボシュニャク人勢力の飛び地であり国連によって安全地区に指定されていたスレブレニツァの町をセルビア人勢力が攻撃して制圧し、わずか10日ほどの間にボシュニャク人の男性7,000人以上を殺害した事件です(注9)。この事件により、ICJはセルビアによるジェノサイド条約違反を認定しました(注10)。
1994年に起きたルワンダでのツチ系住民の虐殺は、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)によってジェノサイドであると認定されています(注1)。
この事件は、ルワンダの2大民族であるツチとフツの対立を背景にフツ系の急進派が主導したものですが、ツチ系住民とともにフツ系の穏健派の住民も犠牲となり、わずか100日ほどの間に80万人から100万人が殺害されました。これは、ナチスによるホロコーストが最高潮であった時期の4倍の速度にあたります(注11)。
ルワンダのジェノサイドは『ホテルルワンダ』、『ルワンダの涙』といった映画でも描かれ、日本でも広く知られています。
法的に認められたジェノサイドの事例は上述の3件のみですが、ジェノサイドの容疑で今も国際的な裁判が継続している事件や、各国が独自にジェノサイドであると認めている事件もあります。
ここからは、近年、ジェノサイドの疑いがあるとして議論の的になっている事例をご紹介します。
2020年2月、ジェノサイド疑惑をめぐる大きな動きがありました。スーダンの暫定政権が、2019年4月にデモで大統領の座を追われたオマル・ハッサン・アハメド・バシル元大統領をICCに引き渡す方針を発表したのです。
ICCは、2003年から2008年に起きた南部ダルフールでの紛争におけるジェノサイド等の罪で、2009年と2010年にバシル前大統領に逮捕状を出していました。ICCから現職の国家元首に逮捕状が発行されたのは初のことでした(注12)。
元大統領がジェノサイドの罪で有罪となるか、今後の裁判の動向に注目が集まっています。
現在国際裁判が行われている別の事例として、ミャンマーでのロヒンギャ問題があります。
2019年11月、57カ国が加盟するイスラム協力機構および国際弁護団の支援のもと、西アフリカの小国であるガンビアがロヒンギャの人々に対するジェノサイドの罪でミャンマーを提訴しました(注13)。
なお、これに先立ち、2019年8月には国連人権理事会がミャンマーに派遣した調査団が報告書を公表し、ラカイン州での2017年の掃討作戦における残虐な手法はミャンマー軍のジェノサイドの意図を示すものであると述べていました(注14)。
審理は2019年12月に開始し、翌月には、「仮保全措置」として、ミャンマー政府がロヒンギャ迫害のためのあらゆる防止策を取ることをICJが命じました(注15)。ジェノサイドの認定には数年かかると見られていますが、審理の動向に世界が注目しています。
現在議論の的となっているのは、近年の事例だけではありません。過去の事件をジェノサイドと認定することにも、重大な象徴的な意味があるためです。
今から100年以上前、1915年から翌年にかけて、オスマントルコは多数のアルメニア人を砂漠地帯などに追放しました。これにより150万人が殺害されたか飢餓や病気で死亡したとアルメニア側は主張しており、研究者らの国際協会も100万人以上が死亡したと見ています(注16)。
アメリカで2019年10月に下院が、12月には上院が、この事件をジェノサイドと認定する決議を可決しました。しかしながら、トランプ大統領はこの決議を支持せず、アメリカの公式見解の変更には至りませんでした(注17)。
他方、フランス、ロシア、カナダ、ブラジルなど20以上の国々と欧州議会などが、この事件をアルメニア人に対するジェノサイドと認めています(注16)。
ここまで、法的に認定されているものとそうでないものに分けてジェノサイドの事例を見てきました。どの事件でも、信じがたいほどの数の人々が犠牲になっていますが、命を落とす人々がいる一方で、住んでいた場所を離れてなんとか難を逃れる人々も多数います。ジェノサイドのように明確な危険を逃れて国境を超えた人々は、難民と呼ばれます。
最後に、ジェノサイドと難民の関連について考えてみましょう。
上で紹介した事例からもわかるとおり、ジェノサイドは多くの場合、政府や政治指導者の主導のもと、自国領内の一部住民に対して行われます。その結果、多くの人が、危険から逃れるためには自国の領域外に出なければならないという状況に置かれます。このため、ジェノサイドが起こると多くの難民が生まれるのです。
ルワンダのジェノサイドでは、100万人以上が難民となって隣国コンゴ民主共和国に逃れました(注18)。また、スレブレニツァのジェノサイドが起きたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、難民と国内避難民が200万人(注19)発生したと言われています。
難現在、国際司法裁判所で議論が行われているロヒンギャ問題では、2019年12月時点で91万人以上の難民が隣国バングラデシュのキャンプに避難しています(注20)。
キャンプでの暮らしは快適とは程遠いものです。ロヒンギャ難民たちは就業を許されておらず、長期的な見通しを立てられないまま援助に頼らざるを得ません。子どもたちには3年ほどの初等教育の機会しか提供されておらず、女性に対する暴力も報告されています。さらに、キャンプのある地域は自然災害も多く、昨年のモンスーン期には豪雨によって洪水や土砂災害が発生し、仮設住宅が崩壊するなどの被害が出ました(注21)。
ワールド・ビジョンでは、2017年8月に難民が発生し始めた直後からキャンプでの支援物資の配布を開始しました。さらに、子どもたちが安心して過ごすための「チャイルド・フレンドリー・スペース」の設置、女性と女の子の保護を目的とした啓発活動や女性支援キットの配布、安全のための街灯の設置といった活動も行っています。
ロヒンギャ難民については、こちらの記事でより詳しく解説しています。
ワールド・ビジョンは、ルワンダでのジェノサイドが集結し新政権が樹立された1994年7月から、現地で支援活動を行っています。2008年にはがチャイルド・スポンサーシップを通した支援活動を開始し、教育、生計向上、保健衛生、そして平和再構築の分野で活動を展開してきました。
中でも、平和再構築の活動は、心に傷を負った人々の「心の平和」を後押しするためのもので、ジェノサイドという悲惨な歴史を持つルワンダだからこそ求められる支援と言えます。ワールド・ビジョン・ジャパンが実施した「平和の木プロジェクト」は、ジェノサイドの被害者遺族と加害者がお互いの家にオレンジの苗木を植え、自分が植えた木の世話をしに毎日お互いの家に通うというものです。日々の交流を通してお互いの心情が徐々に変化し、和解へとつながっていきます(この活動の詳細はこちらの記事をご覧ください)。
このように、ワールド・ビジョンでは、キャンプで先の見えない生活を強いられている難民への支援のほか、避難先から母国に帰還した難民への支援、ジェノサイド後の平和の再構築のための支援など、幅広い活動を行っています。
皆さまに「難民支援募金」にご協力いただくことで、ロヒンギャ難民をはじめとする難民へ、より多くの支援を届けることができます。
また、チャイルド・スポンサーシップに参加いただくことで、ルワンダでの「平和の木プロジェクト」のような長期的な成果を目指す活動を広げていくことができます。
※このコンテンツは、2020年3月の情報をもとに作成しています。
※1 国連ジェノサイド予防特別顧問室:GN1 When to refer to a situation as genocide
※2 有斐閣 国際条約集2008年版 388頁
※3 国連ジェノサイド予防特別顧問室:Status of Ratification
※4 外務省:国際刑事裁判所に関するローマ規程
※5 衆議院:第185回国会 法務委員会 第4号
※6 国連ジェノサイド予防特別顧問室:The Genocide Convention
※7 ECCC:Introduction to the ECCC
※8 BBC:クメール・ルージュ指導者に有罪判決、大量虐殺の罪では初 カンボジア
※9 朝日新聞:スレブレニツァ虐殺20年の式典 セルビア首相に投石も
※10 薬師寺公夫:国際司法裁判所による人権保護 国際問題 No.680(pp.30-39)
※11 ルワンダ国際刑事裁判所:The Genocide
※12 CNN:スーダン、バシル前大統領をICCに引き渡しへ
※13 BBC:ロヒンギャ虐殺めぐる国際裁判始まる、アウンサンスーチー氏も出廷
※14 国連人権理事会:UN Fact-Finding Mission on Myanmar Calls for Justice for Victims of Sexual and Gender-based Violence
※15 朝日新聞:「迫害行為防止を」国際司法裁、ミャンマーに緊急的命令
※16 BBC:Q&A: Armenian genocide dispute
※17 CNN:Trump administration won't call mass killing of Armenians a genocide despite congressional resolutions
※18 UNHCR:難民 REFUGEES 2001年第1号 22頁
※19 外務省:ボスニア・ヘルツェゴビナ基礎データ
※20 Inter Sector Coordination Group:Situation Report: Rohingya Crisis - Cox's Bazar | December 2019
※21 ワールド・ビジョン・ジャパン:ロヒンギャ問題について考えよう